中沢クリニックだより
新年号(第74号)

[新年のごあいさつ]
 
皆様、新年おめでとうございます。と申しましても、今年の正月は、ゆったりのんびりと正月気分を味わっているどころではない、という方も少なくないでしょう。昨年、米国発の金融恐慌があっという間に世界中に波及し、不況の嵐となって吹き荒れました。石油や原材料の高騰、円高による企業の業績悪化で一気に経済が冷え込み、「派遣切り」やリストラで職を失った人も多く出て、ひときわ寒さが身にしみる年明けとなったことでしょう。
 今年は果たしてどんな年になるのでしょうか。平穏無事に過ごせるだろうか、不安はありますが、何はともかく健康にすごせるように祈るばかりです。
 医療福祉の分野では、今年はどうでしょうか? 今年は、健康保険制度、医療費、薬価、などの改定は予定されていません。ここ数年の医療費削減で疲弊した医療の現場は、今年も厳しい状況が続くのは必至でしょう。公立病院は軒並み赤字に苦しみ、医師不足も続いていて、今年も診療科の休止や縮小、さらには病院の存続すら危ぶまれる事態も心配され、地域医療はきわめて厳しい状況に置かれていることは変わりありません。来年度の国家予算では、小泉政権以来続いていた医療福祉予算2200億円削減が、事実上廃止されましたが、荒廃した医療の現場が回復するには、相当の時間がかかるものと覚悟せねばなりません。
 医療費のムダをなくし、限られた医療福祉予算を有効に活用するには、どうしたらよいのでしょうか? 私ども医療担当者だけでなく、患者さん一人一人にも考えていただきたいテーマです。
 私どものような医師一人の小さい診療所でも、経費を節約して経営努力をしないとやっていけない時代ですが、それでも新しい医療技術・医療器械を取り入れながら、少しでも良い医療を皆様に提供できるように、皆様のホームドクターとして十分にその役目を果たせるように、精一杯がんばっていきたいと思います。皆様の忌憚のないご意見やご批判をお願いいたします。
 ところで、今年の干支は牛です。「牛歩」といえば、物事が遅々として進まない状態をいうようです。牛の歩みは確かに、のんびりゆったりした歩みですが、着実に前に進んでいければ牛歩もいいではないですか、むしろ忙しすぎる身にはそれも好ましく思えるのです。今年は、ゆったりと余裕を持った生き方にも思いを馳せてみたいものです。

解説シリーズ[心を考える](その7);
不 登 校:(中)
前号に引き続き、不登校について解説します。

<不登校の経過>
 不登校の子供たちのたどる経過・道筋は、さまざまです。しかし、さまざまではあっても、子供たちが挫折し、学校に背を向け、苛立ち焦り落ち込み、長い時間の後に立ち直っていく、という回復への方向性は見られます。つまり、初期は混乱していろいろな問題行動を示す時期、次に家庭内では安定するが無気力な日々を送る時期、そして再びエネルギーの回復とともに行動が広がり、やがて再登校を含めた社会復帰へと向かっていく、という流れです。各時期ごとに解説してみたいと思います。

[初期動揺期]子供が登校を拒否するというのは、ただごとではありません。また、そうした子供の状態に対して親も冷静ではいられません。したがって、この初期の時期には、子供も親も安定を欠き、動揺します。また、ほとんどの場合、子供は初期に心身症のような状態を示します。登校しなければいけない、という思いと、学校に行きたくないという思いが、葛藤を起こし、これに対して「病気の症状を示す」ことで言い訳しているからでしょう。つまり、頭痛・腹痛・発熱などの多彩な症状を訴えますが、医師の診察では身体に特に異常が見られないのが通常です。登校しなければならないのに登校できない苛立ち、十分承知しているのに責められることからくる不機嫌、といった感情の高まりで、部屋に閉じこもったり、会話や食事を拒否したり、家庭内暴力に走ったり、という時期です。周囲が登校させようとして子供を刺激しつづければ、この時期は長引き、逆にそうした登校刺激を避けて本人を安定させるように努めれば、終息に向かいます。

[家庭内安定期]初期の混乱や動揺がおさまると、家庭内で安定した生活を送れるようになります。しかし、この時期はいわば仮の安定の時期であり、表面的には普通に見えても心の奥はまだ回復していません。この時期の特徴は、エネルギーの枯渇です。無気力な状態が高じてくると、テレビを見てぼんやりすごす、同じ漫画を繰り返し読む、同じ音楽を繰り返し聞く、など無為に一日をすごしたりします。また、退行現象を起こして母親に甘えたり、つきまとったりすることが見られることもあります。これらは、いわば現実から逃避して安全な家庭という穴の中にもぐり込んでいる状態といえます。この時期は、通常、ある程度長引きます。この時期をいかに縮めて、次の行動の時期へ進めていけるか、が不登校への援助のポイントといえます。

[再始動期]家庭内での安定が進むと、一見、普通の子供と同じように一日をすごせるようになっていきます。友達と遊んだり、外出もできるようになります。趣味に時間を使ったり、家の手伝いをしたり、家に閉じこもることに退屈してくる様子も見られるようになります。もう少し待つか、それとも援助の手を差し伸べるか、そのタイミングがポイントとなってきます。勉強の遅れや友達の目、など再登校の障害となるものはいくつもありますが、保健室登校にしろ、短時間だけの登校にしろ、再び歩き出した子供を、送り出す方も受け入れる方も、暖かく見守ってあげたいものです。もちろん、ここまで来たら不登校が解決する訳ではありません。自分の足で、自分の意志で、新しい自分として行動できることが、不登校を乗り越えることであって、再登校が目的ではなく結果として達成できることです。

<最近の不登校について>
 不登校という問題が発生しはじめてから、既に40年以上たって、初期のころの不登校児はすでに40才代、50才代となっています。その子供たちに、第二世代の不登校が現れても不思議ではありません。時代の流れとともに、現代の社会の病理を反映して、不登校自体にも確実に変化が現れてきています。たとえば、その変化の背景にみられる要因として以下のような項目が挙げられます:
1.不登校に対する理解が深まることによって、登校させようとする教師や親からの余計な圧力が減ったこと
2.不登校の児童生徒の数が増えて、自分だけではない、と思えるようになった
3.学校以外に、出席扱いにしてくれたり、勉強したり遊んだり出来るところが増えたこと(例;情緒障害学級、適応指導学級、など)
4.パソコン、ビデオ、各種ゲーム機器などの普及により、逃避しやすくなった
5.学歴にこだわらない生き方をする若者が増えてきたこと
 こうしたことを背景として、学校はどんなことがあっても登校しなくてはならない所である、という意識が少なくなってきています。
 今後、こうした新しいタイプの不登校に対しても、教育現場では対処していかなければなりません。

<不登校の子にどう向き合うか?>
 不登校の原因が身体の病気や精神障害による場合は、まずその治療をしますが、そうでない不登校では、基本的には「今は無理して学校に行かなくても大丈夫だから、心配しなくていいよ」という対応をします。その上で、その子が学校へ行けない事情を子供の立場から明らかにし、それを周囲の人たちが受けとめてあげること、そして子供が自分の意志で動き出せるようになるまで、周囲の人たちが協力して待ってあげられるようにすることです。
 一つ注意すべきは、不登校の原因の追及などに終始しないこと。「一体、何があったの?」「どうしたいの?」「これからどうするつもり?」と執拗に問いつめるのは、子供の心の負担を増すだけです。子供にもプライドがありますし、弱音を吐いてしかられるのはイヤだ、と思う気持ちがあります。
 かといって、何も聞いてはいけないということではありません。親子のコミュニケーションを、できるだけ日常的なレベルに保つような努力は必要です。そういう努力を続けながら、「私たちは、いつでもあなたの力になるつもりだし、そのためには苦労を惜しまないよ」というメッセージを伝えていくことです。
そして、このメッセージは、継続的に、できるだけ控えめに「押しつけを感じさせない、遠いラジオの声のように」聞こえることが望ましいようです。

<家族と学校はどう対処するか?>
 不登校は、単一の原因で起こるものではなく、いくつかの原因があるはずです。家族と学校とが協力して、日頃から子供の様子に注意し、子供を不登校に追いやる心配のある「不利な状況」に気を付けておきます。子供が、学校生活に頑張りすぎて息切れした時、学校生活や交友関係に圧倒されて追いつめられた時、勉強で、または仲間との折り合いでつまずいた時、などが不利な状況として考えられます。子供が、疲れて元気がない、ふだんと様子が違う、学校を休みたがる、といったときは、周囲に何か伝えたいというサインを出しているときです。子供が誰にSOSを出せるか、子供が出しているSOSに誰が気付くか、親か、兄弟姉妹か、担任の先生か、養護教諭か、親友か。その子が頼みの綱にする信頼関係ができていて、必要な時にちゃんと機能してくれるとよいのですが。
(以下、次号へ続きます)


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