中沢クリニックだより
秋の号(第73号)

解説シリーズ[心を考える](その7);
不 登 校:(前)


 昨年1年間の統計で、山梨県内の中学生の不登校生徒の割合が、全国で最も高かった、という結果が出て県内の教育関係者に衝撃を与えました。全国的にみて、不登校の児童生徒は増え続け、少子化の影響で平成15年以降は実数はやや減少したものの、毎年10万人以上の小中学生が不登校になっています。
 不登校は「ひきこもり」にも関連しているテーマですが、今回、まず、不登校を取り上げて、考えてみたいと思います。

<不登校とは?>
 「登校」とは、文字通り学校に通うことで、「不登校」とは、登校していないという意味ですが、「欠席」という用語が1日単位で用いられるのに対し、「不登校」という語は、もう少し長く不特定の期間について使われることが多いです。文部科学省による公式な定義では、「不登校児童生徒」とは、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しない、あるいはしたくともできない状況にあるため、年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」としています。
 以前、一時、「登校拒否」という用語が使われました。1990年代には、拒否というほどの強い意志がみられない、ということで単に「学校に登校しない、登校できない」状態を示す用語として、「不登校」ということばが用いられるようになりました。

<なぜ不登校になるのか?>
 不登校は、一つの原因で説明できるものではありません。子供本人・家庭・学校・地域・社会のそれぞれに問題があって、それらが重なり合って登校に対して不利に働く要因となってしまう。それらの不利な要因がからみあった中で、子供は精神的に疲れ果て、登校することに不安をおぼえるが、登校しなければならないという義務感も感じるし、周囲から登校するようにというプレッシャーがかかり、しばしば戸惑ってしまう。ついにはさまざまな心身症状を示し、「登校しぶり」から不登校に陥ってしまいます。心身症状としては、抑うつ・無気力・強迫症状などの精神症状や、腹痛・頭痛・疲労感・原因不明の微熱・めまい・脳貧血などの身体症状がみられます。
 また、不登校は病気や発達障害を原因として起こる場合もあります。たとえば、「ADHD」(注意欠陥多動性障害)、広汎性発達障害、学習障害、などです。
「ADHD」については、[心を考える]シリーズの最初(クリニックだより52〜53号)で解説してあります。落ち着きがなく、衝動的な行動をとりやすく、ほかの子供とトラブルを起こしやすい。トラブルや失敗で自信をなくし、友達からも嫌われて、学校嫌いになり、不登校になってしまうことがあります。
 広汎性発達障害の関連では、「自閉症」について[心を考える]シリーズ;その5(クリニックだより67〜68号)で解説してあります。コミュニケーションをとるのが苦手で、周囲の人に意志を伝えられない、話が通じないために仲間はずれにされる、などで登校をいやがり不登校になってしまうことがあります。
 学習障害では、学習面の発達に遅れがあり、特定の学科が極端にできないことがあります。友達からからかわれたりして、対人恐怖になったり、勉強への苦手意識もあって、不登校になってしまうことがあります。

<不登校の心の世界>
 以前は、子供は学校に通うのが当たり前、大人になったら働くのが当たり前、という一般常識がありました。不登校がふえてきている背景には、社会の変化があり、子供たちの心理に影響しているものと思われます。
 人の発達や成長を支える場所を「居場所」と呼んでみます。人は成長するにつれて、家庭に加えて学校や地域、さらにその後は職場など、さまざまな居場所を手に入れていきます。「居場所」は、誰と一緒にいるか、どの場所にいるか、という物理的問題と共に、心理的に誰と一緒に居られるか、だれを信頼し、誰が自分の味方と思えるか、誰となら心を許して話ができるか、というきわめてメンタルな側面を含んだことばです。
 社会経験の少ない児童生徒の時期には、「居場所」は家庭や学校など限られた場所となることが多いのですが、もし、主要な「居場所」としての学校を失うと、残された最後の「居場所」は家庭になります。実際、不登校の児童生徒の多くは、家庭を中心に日々を過ごさなければならなくなります。これは、「ひきこもり」の場合でも見られる状況です。その場合、家庭が「居場所」としての十分な機能を持っているのかどうか。
 核家族化、少子化、の現代の家庭では、家庭の規模は大幅に縮小し、「家族機能」がすっかり低下してしまいました。かつて、今よりもずっと開放的であった家庭では、こどもたちは家族だけでなく近隣の人々とも密接に接し、守られ鍛えられ、多くのことを学んでいきました。しかし、現在では各家庭は外部に対して閉じることが多くなってきました。こういう状況は、不登校者やひきこもり者の成長や自立を支える家庭の力をそぎ落としてしまい、彼らが家に閉じこもることを促進してしまう条件にもなってしまいます。

<発達段階からみた不登校>
1.小学校:小学校入学時には、幼稚園・保育園から小学校へ、という劇的な環境の変化があり、新しい環境にうまく適応できないと、いわゆる「小1プロブレム」とよばれる問題が起こり不登校の原因ともなります。この時期、子供は親から離れて一人で学校へ行かねばならず、このような「母子分離」がうまく行くかどうかも心配です。中学年になると、自分と周囲との「優劣」が問題になってきます。自分自身への自信のなさ、劣等感に敏感になり、自分が劣っていることに対して手厳しく非難されたりすると、大きな傷つき体験となり、不登校につながる場合もあります。高学年になると、思春期の不安定な時期にはいってきます。「居場所」としての学校のあり方が大事な意味をもってくる時期です。
2.中学校:中学校入学時にも、教科別担任制や部活動が始まったり他の小学校からの生徒と一緒になったり、大きな環境の変化があり、「中1ギャップ」とよばれる問題が起こることがあります。中学生は、子供から大人への移行の時期にさしかかっていて、身体の発育、生殖能力の発育、がみられる時期で、心身ともに不安定になります。また、交友関係が大変重要な意味を持ち、うまく仲間の中に居場所が得られるか、さもなければ仲間はずれにされたり、無視されたり、いじめにあったりする。そうなると「居場所」としての学校が失われてしまい、不登校につながります。
3.高等学校:高校では欠席日数が多くなると、留年や中途退学となる場合が多く、これまで不登校についてはあまり取り上げられませんでした。しかし、近年、「ひきこもり」や「ニート(無就労、無就学、無訓練の若者)」に至る過程として、高校における不登校が注目されています。高校で不登校の生徒の5人に一人は、中学校でも不登校だった、という統計があります。
(以下、次号へ続きます)

コーヒータイム<あなたの心、ほほえんでいますか?>
「笑う門には福来る」という諺(ことわざ)があります。笑いがあふれる、家族や仲間たちとの楽しい時間は、大変幸福な時といえます。楽しい思い出や、将来の夢・やりたい事など前向きな話題が次々と出てきて、そういう愉快な雰囲気が続くこと自体が「福」が来たといえるのではないでしょうか。
 しかし現実は、そんなに笑って過ごせる状況ではなさそうです。折しも、アメリカ発の世界金融恐慌が発生し、世の中が不景気に向かう不安感が広がっています。わが国においても、少子高齢化の社会では、豊かで楽しい老後は望み薄です。頼りの年金制度は混迷を極めており、わずかな年金から容赦なく介護保険料などが天引きされ、老後の生活費が心許ない状態です。また、若い世代では、定職に就けない人、「ニート(無就労、無就学、無訓練の若者)」の人が増え、働き盛りでは、過重労働を強いられ、過労死する、「うつ病」になって過労自殺する、などが増えて、余裕が無い、追い込まれている、希望が持てない、など大変厳しい状況に追いつめられている人々が多くなっています。
 こうしてみると、現状は、ゲラゲラと声を上げて笑っていられる状況ではないでしょう。元来、日本人は、むやみに笑うな、ニヤニヤするな、まじめにやれ、などと笑いに対して手厳しい人種のようです。そうかも知れませんが、しかし、「心でニヤッと笑う」ことは出来るでしょう。もし、心がそういう反応さえも出来ないほど元気をなくし、落ち込んでしまうようなら、うつ状態やうつ病を心配してしまいます。
 笑いの効用は、いろいろあります。ストレス解消、精神的な癒しの効果、血圧の低下、血行の改善、血糖値の低下、便通の改善、集中力・記憶力が高まり仕事の能率が上がる、コミュニケーションを潤滑にして人間関係を良好にする、精神的にリラックスしてよく眠れる、などなど。さらには、癌の発生を防ぐ、脳を活性化して痴呆を防ぐ、老化を防ぐ、などとも言われます。
 笑いがなぜ癌の発生を防ぐか、といいますと、笑いによって、癌細胞を退治するNK細胞(ナチュラルキラー細胞)が活性化される、といわれています。
 笑いがなぜ痴呆を防ぐか、といいますと、笑うと血行が良くなり脳の血流量が増加します。そうなると、脳の血管がつまることによって起こる脳硬塞の予防や回復に役立ちます。このことは痴呆の予防にも役立ちます。さらに増えた血流量が脳の働きを活発にして、集中力や記憶力が向上したり、記憶を司る「海馬」という場所の働きを活発にして、新しい情報を覚えやすくします。
 笑いがなぜ老化を防ぐのに役立つか、といいますと、笑いは見たり聞いたり話したりすることに伴う場合が多いです。笑っているときは、楽しい会話をしているとき、顔も笑い顔で、いい顔になっています。そういう人は仲間があって、孤独ではありませんから、気持ちが若く保てるし、誘い誘われてお出かけの機会もできて、足腰もしっかり保てるし−−−老化予防になりますね!
 さて、ここで、いわゆる「虫食い川柳」ですが、次の川柳の下5文字にどんなことばが入るか、ちょっと考えてみて下さい。
 「今日もまた サンマですかと ○○○○○」
 今日の夕食のおかずはサンマの塩焼きのようです。「今日もまた サンマですか」と誰が言っているか、ということですが、この家の家族の誰か、または、この家の飼い猫か、と考えますか? 正解は、かんきせん(換気扇)でした。換気扇は煙のにおいをかぎながら、今日もまたサンマか、と食傷ぎみにぼやきます。たまには、ステーキのにおいでもかがせてくれないかなあ、などと思っているのでしょう。どうですか、そんなふうに想像してみて、あなたの心はニヤッとしませんか、少しはなごみませんか?「笑う顔には福来たる」「笑う心に福来たる」これでいきましょう。それでは、おいしいコーヒーを飲んで一息入れましょう。


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