中沢クリニックだより
秋の号(第57号)
解説シリーズ[心を考える](その3)
PTSD(心的外傷後ストレス障害)(前)

 今年9月初め、ロシア南部の北オセチア共和国で学校テロ事件が起こったのは、まだ記憶に新しいところです。300人以上の犠牲者がでましたが、この極限状態から救出された人たちの中には、きっとPTSDになる人たちがいることでしょう。日本で比較的最近、PTSDが注目されたのは1995年の阪神大震災でした。米国で2001年9月11日に起こった、9.11同時多発テロ事件、わが国では2001年6月に起こった大阪池田市小学校乱入殺傷事件、でもPTSDが問題になりました。
 心的外傷後ストレス障害(以下、PTSDと呼びます)とは、いかにもむずかしい病名です。「心的外傷」とは、「トラウマ」ともいわれ「心の傷」を意味します。トラウマということばが、最近、盛んに使われるようになりました。PTSDを理解するために、まずトラウマを理解することから始めてみましょう。

<トラウマとは?>
 トラウマ(Trauma)とは、ドイツ語で「外傷」を意味し、体のケガのことです。ベトナム戦争から帰還したアメリカ軍兵士たちの一部に、極度の精神的な後遺症が見られ、それを引き起こす外傷的なストレスを「トラウマ」と呼ぶようになりました。その意味するところは、心的な外傷、つまり心の傷です。
 PTSDを発病するようなトラウマ体験とは、多くの人にとって強い衝撃をもたらすような、日常生活ではみられないような体験です。たとえば、戦争、暴力、レイプ、誘拐、監禁、人質、拷問、激しい自然災害や交通事故、などです。次のように分類することもできます;
(1)人間の生命あるいは身体に対する深刻な脅威
(2)自分の子供、配偶者、身近な親族、あるいは友達に対する深刻な脅威あるいは害
(3)家庭あるいは共同体の突然の崩壊
(4)最近、自分以外の人間が事故あるいは暴力のせいで重傷を負った、あるいは殺害された事件を目撃した
(5)親友あるいはその家族に対する深刻な脅威あるいは害を知った。たとえば、親友の子供が誘拐された、拷問にあった、あるいは殺された、など。

ここで注目されるのは、これらの出来事が、ある日突然、子供から高齢者まであらゆる年齢層に、誰にでも起こりうることだ、ということです。
人が、自らの処理能力を超えるような強烈なトラウマ体験をすると、心は、その体験から自らを守るために、それを瞬間的に冷凍してしまう機能を持っています。それによって、その体験に関するさまざまな記憶、いわば「瞬間冷凍された状態の記憶」は時がたっても薄れることはなく、「鮮度」が保たれるといわれています。そして、かなり時間がたった後でも、何かの理由で瞬間冷凍されていた体験の記憶が解けた場合、凍りついていた記憶は非常に生々しい形で心の中によみがえって来ます。

<PTSD、心的外傷後ストレス障害、とは?>
 PTSDとは、post−traumatic stress disorderの略語です。
「post」は「後の」を、「trauma」は「心的外傷」を、「stress」は「ストレス」を、「disorder」は「障害」を意味するので、心的外傷後ストレス障害と日本語に訳されました。これは、文字通り、トラウマ体験をした人が、その後に発病する病気です。単なる不安や「うつ」とは異なり、PTSDには特有の一連の症状があります。PTSDのもっとも顕著な症状は、本人は望まないのに、トラウマ体験による「心の傷」がくりかえしよみがえって(フラッシュバック)、苦しむことです。トラウマ体験をしても、そのような症状を出さなければ、PTSDとは診断しません。

PTSDについて、なるべく噛み砕いて説明すると、「自分や身近な人がショッキングな体験をしたために生じる病気で、つぎのような症状が出ます。かつて体験したトラウマの苦痛な思い出が、時を選ばず心の中に忍び込み、何度も無理やり繰りかえし現れる。他人と疎遠感や隔絶感があったり、眠れなくなったり、トラウマの夢を繰りかえし見る。トラウマ体験に似た状況があると、それは昔のことだから今は安全だ、とわかっていても、胸がドキドキしたり、体がふるえたりして、驚きおののいてしまう。」といったところです。

<実際はこんなふうです>
(1) ベトナムでマイケル・ヒラーはアメリカ海兵隊の軍曹を務めたが、戦争が終わって除隊になったとき、ベトナムでの体験から逃れられないのに気が付いた。彼がベトナムで従軍中にキムという名のベトナム人の少女が、毎日のように駐屯地にやってきて、ガムやチョコレートをあげたりして、兵士たちのマスコットのようになっていった。ある日、敵軍がキムの身体にたくさんの爆薬をくくりつけ、米軍兵士らのところへよこした。それに気が付いたとき彼には、キムが近づく前に撃つしか選択の余地はない、と感じキムを撃った。戦争が終わって帰国するなり、彼はひどく苦しみだした。「私は自分の子供が死んでいく姿を想像するようになり、発狂するのではないかと思いました。キムのイメージが何度も何度も心に浮かぶのですが、そこでは私の子供がキムと置き換わっているのです。私は、大切な家族を痛めつけては怖がらせるような父親になっていました。」 ついに、彼が家族といっしょに暮らすのは危険だとして、判事は彼を家族から引き離すよう命令を下しました。
(2)Sさん、22才、女性。16才の時に歌手になろうと上京し、歌手の養成学校にはいり、夜は学費を稼ぐために水商売のアルバイトを始めました。そこで知り合った男性に「いい芸能プロダクションを紹介して、歌手にさせてやる」と言われ、交際を始めましたが、その後、男性は暴力団員で歌手デビューの話もウソだったとわかりました。同棲生活を強いられ、拒否すると暴行され、マンションに監禁されてしまいました。別れ話を持ち出すと「殺してやる」と刃物でおどかされ、恐怖で生きた心地がしませんでした。半年後、スキをついて逃げだし交番に助けを求め、保護されました。その後、ふるさとに帰り、表面的には明るく、アルバイトをしながら過ごしていました。2年がたち、恋人ができましたが、やさしくされると昔の男性との過去が鮮やかによみがえり、再体験したように戦慄さえ覚えるようになりました。監禁の夢を見て夜中に飛び起きるようになり、気分が沈み食欲も低下しました。

<診断はどのようにしますか?>
通常、心療内科や精神科ではパニック障害であるかどうかを判断するために、パニック発作のチェックリストを用いた問診を行います。特徴的な症状として下記のような症状が挙げられています。このうち、同時に四つ以上の症状が急激に起こり、10分ぐらいまでに頂点に達し、1時間以内におさまることが多いようです。
 下記のチェックリストの症状は、いわゆる自律神経失調症の症状とよく似ていますが、パニック発作は、とくに原因もないのに、なんの前触れもなく不意に起こり、強い不安や恐怖感をともないます。たとえ、四つ以上の項目に当てはまっても、日常生活に支障がなければ、それはパニック障害ではありません。パニック発作があって、なおかつそれによるなんらかの生活上の支障が発生して、はじめてパニック障害と診断されます。

*非現実感(自分が自分でない感じ)
*発狂不安(狂う、常軌を逸する、自分をコントロールできない、という心配)
*死への恐怖(死ぬのではないかという恐怖)
*めまい、ふらつく感じ、頭が軽くなる感じ、気が遠くなる感じ
*窒息感、息切れ(息がつまり、呼吸が早くなる)
*動悸、頻脈(心臓がドキドキして脈が早くなる)
*胸痛、胸苦しさ(胸の痛みや不快感)
*吐き気、腹部の不快感
*身震いや全身または手足の震え
*身体全体の冷感や熱感
*冷や汗をかく
*胸騒ぎがする
*神経がピリピリする、しびれ


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